2020年頃、「観光産業への提言」というテーマで一度論文の作成を行いました。前職で、観光・物産・食に関するシティプロモーション業務を担当しており、首都圏で日本中・世界中の最先端情報を収集しながら、全国各地の観光地の在り方を見て回ったことで、徐々にまとまってきたアイデアの集大成と言えます。せっかくなので、REGIONAL ARKHEの考えの根幹にふれる覚書として記します。


観光産業への提言


1 感性の時代

 感性の時代が到来している。あらゆるものがその潮流へと飲み込まれている。そして、新しい潮流の中で生存するためには、創意工夫の中で環境に適合し、進化しなければならない。まるでダーウィンの進化論のようなその根本原理は、発展と衰退を繰り返す産業においても例外ではないように感じる。

 現在、日本も含めた世界中の産業は、世の中に分かりやすく存在した物理的諸問題を理性と論理により解決し尽くしてしまった市場(レッドオーシャン)の中でもがき続けている状況である。一方、米国のGAFA(グーグル/アップル/フェイスブック/アマゾン)を筆頭として、自ら新しい問いを生み出し、それを解決する新しい市場(ブルーオーシャン)を開拓する創造性の高いイノベーション企業が世界経済に台頭してきている。感性を養うことにより引き出される創造力は、イノベーションを生む。そのことを意識し始めた欧米の経営者たちは創造的なビジネスを起こすために、美術館などでアートに親しむこと、更にはアートスクールに通い、直接的にその手法を学習することなどにより、クリエィティブな感性を養う活動に時間とお金を費やすようになってきている。このように一旦頭打ちとなった産業自身が、環境に適合するために進化するフェーズに入ってきており、個々人の感性に対する意識が異様に高まる時代となってきている。このような世界の潮流が、観光産業における需要にも大きな影響を与えている。観光客は、感性にふれる知的な旅をしたいと考えるようになってきている。

 二〇一九年、日本における感性にふれる観光市場創出の先駆として、瀬戸内海の島々を舞台とする現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」が注目を浴びたのは記憶に新しい。この祭典は、感性の時代の流れを大きく汲み取り、多くの外国人観光客が訪日するきっかけとなった。ニューヨークタイムズ「二〇一九年に行くべき五十二ヶ所」の中で、日本で唯一の七位「瀬戸内の島々」が選出され、ナショナルジオグラフィックトラベラー英国版「二〇一九年行くべきデスティネーション」の一番目に、日本で唯一「瀬戸内」が選出されている。日本の瀬戸内海、穏やかで美しい凪に浮かぶアートに彩られた島々を巡るという新しい旅先の出現は、世界及び日本の各種メディアに続々と報じられ、国内外の観光動向を大きく動かす要因となった。

 こうした感性に語りかける取り組みが成功していることは、これからの観光産業において特に注目すべきであることを予感させている。自らの成長のために、感性にふれる知的な旅をしたい。そんな自己実現を目的とした観光客が増えている。現代の観光産業は、感性の時代に対応する最適な進化が必要となってきている。

 2 進化の方向性

 観光産業においてどのような進化の兆しが表れているのか。人々の欲求を階層的に定義する「マズローの欲求五段階説」を用いて、観光需要の大まかな遷移を説明する。

 昭和から平成初頭までの国内観光全盛期においては、団体の慰安旅行で交流を深めるという「社会的欲求」、名所に行ったことがあるステータスを持ちたいという「承認欲求」を中心とした観光市場が主流であったが、現代は、個人的な興味や関心に合った観光地を一人もしくは気の合う少人数で訪れて、自らの視野を広げたい、高めたいという「自己実現欲求」を中心とした観光市場へと変化してきている。「自己実現欲求」は、「社会的欲求」、「承認欲求」と同様の精神的欲求のカテゴリであるが、その中でもより高次元(最上層部)の欲求である。「自己実現欲求」は、自身の感性にふれる世界観における精神的価値に対して金銭を支払う市場で満足される。

 これは欧米で育まれたブランドという経済概念と一致する。例えば、ルイ・ヴィトン、シャネル、グッチなどのファッション界のラグジュアリーブランドや、フェラーリ、ランボルギーニなどの自動車産業界のスーパーカーブランドにおいては、きめ細やかな精神的価値の積み重ねにより、確固たる世界観を表現し、維持し続けている。顧客は美しくデザインされた世界観を信頼し、その意味やストーリーという精神的価値に対して多額の金銭を支払う。これは世界のトップブランドの事例であるが、世界観という精神的価値を売る市場が確かにあり、そういった高次の市場へ、観光産業も徐々に移行していることを自覚すべき段階に入っている。

 感性の時代における観光産業は、地域の世界観を美しくきめ細やかにデザインし、地域の持つストーリーという精神的価値を宿したブランドを作り上げることで、戦略的に「地域を表現する」という進化の方向性を見据えなければならない。

 3 地域を表現する ―デザイン―

 日本中の地域には、連綿と続いてきた本当に価値のある良いものが溢れている。ただどれだけ価値のある良いものであっても、伝統産業をはじめとしてそれらは急速な勢いで失われている。それはなぜか。それらがどれだけ本当に価値のある良いものであったとしても、その価値が的確に現代の人々へと伝わらなければ、ないものと同じだからである。地域価値を的確に伝えるためには、真髄を残しながら、今の時代に求められる機能的・装飾的な姿形へ再編纂し、表現するデザインという技法が必要とされている。

 デザインとは、客観的な情報整理による表現技法である。

 デザインといえば、ポスターや雑誌などのビジュアル要素に目を引かれがちだが、実際、それは一部分の効用でしかない。クライアント(本論においては、地域)が持つ真なる価値を調査、分析、整理して、ターゲットとなる顧客(本論においては、観光客)と的確なコミュニケーションをとるために表現化するという一連の流れをもって、デザインという。ポスター等は最終的な表現の結果でしかなく、もっと根本的な部分から情報整理の技法としてのデザインが用いられていることを、まずは理解すべきである。感性の時代においては、地域価値に基づく美しい世界観を作ること、その意味やストーリーという精神的価値を宿したブランドを作り上げるべきことを軸として考えるならば、デザインは最も根幹に据えるべき基本技法である。

 デザインに基づく観光経営の代表例として、星野リゾートが挙げられる。その魅力の大きな要素は、地域価値に基づく美しく完成された世界観を体感できる宿泊施設として徹底的にデザインされていることにある。施設配置、外観、内装空間、インテリア、アート、本、季節の草花、菓子、食事、おもてなし、アクティビティなどあらゆる要素において、地域の歴史・文化、風土という地域価値を表現する世界観を、宿泊施設にしなやかに織り込んでいる。

 温泉旅館ブランド星野リゾート界では、「ご当地楽」という特徴的なアクティビティが用意されている。界津軽の津軽三味線生演奏、界出雲の石見神楽演舞、界松本のクラシックコンサートなどの観覧型アクティビティ、界遠州のお茶三煎、界伊東の椿油づくり、界川治の烏山和紙紙漉きなどの体験型アクティビティなど、多種多様な地域の魅力的な歴史文化をスマートに体感できる。また、星野リゾート奥入瀬渓流ホテルでは、自然体験型アクティビティ「苔さんぽ」が用意されている。苔を知り尽くしたネイチャーガイドの案内により、渓流の美しい景観を作り出している約三百種類の苔をルーペで観察しながらゆっくりと散策して、小さく美しい自然の世界に出会うことができる。このように宿泊施設を可変的な存在として捉え、それぞれの地域の価値を表現する舞台装置としてデザインしていくことで、それぞれの施設に固有の魅力が宿され、地域の数だけ答えが生まれてくるビジネスモデルを形成している。

 また地域を表現するという類似の事例として、スターバックスリージョナルランドマークストアを紹介したい。この特別なストアは、「日本の各地域の象徴となる場所に建築デザインされ、地域の文化を世界に発信する店舗」として位置づけられており、地域の歴史、工芸、文化、産業の素晴らしさを再発見できるように、様々なローカルのデザインエレメントを織り込みながら、日本中の地域に展開されている。神戸北野異人館店は、登録有形文化財である木造二階建ての洋館を活用することで、歴史文化の風情をまとったストアとしてデザインされている。港町神戸の往時の国際交流の歴史を象徴する洋館の建具やフローリングを活かしながら、ラウンジなどの各部屋に合わせた調度品を配置することで、当時の空気感を感じながら、コーヒーを飲むことができる。また世界一美しいスターバックスと名高い富山環水公園店は、公園のシンボルである運河や天文橋などの美しい水辺空間を一望できる大きなガラス張りの窓が南向きに配されながら、木材の温かみを活かし、自然景観と調和するストアとしてデザインされている。水辺の景色を観賞しながら、鳥のさえずりや蝉の声などの自然の移ろいを感じることができる。

 このような地域価値を活かした美しい世界観を作り出し、それを緻密に維持するためには、個々人のデザインリテラシーの習得が必須条件である。なぜならば、デザインの世界において「神は細部に宿る」と言われており、世界観をデザインする意識が関係者の隅々まで行き渡っていなければ、それは簡単に崩れ去ってしまうからである。外部の専門家に全て任せるのではなく、地域の当事者が地域を表現するデザインの基本を学習し、自らで世界観を作り上げ、守り続けるべきであるという意識を浸透させることが最も重要である。

 4 地域を表現する ―現代アート―

 デザインという情報整理技法は、今あるものをより良く伝えるという効用は高いが、例えば、城跡等の完全に形がない歴史遺産、地層等の難解な自然遺産に対しては、効用が望めないときがある。このような場合、地域価値をインパクトのある姿形へと視覚化し、新たな観光スポットを創造するという現代アートを用いることも検討したい。

 現代アートとは、主観的な情報誇張による表現技法である。

 前述した「瀬戸内国際芸術祭」や「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」という好事例があるため、是非参考にしていただきたい。この芸術祭の最大の特徴としては、美術館という箱から飛び出して、アートが外の世界に広がっていくインスタレーション(空間芸術)という表現手法にある。現代アートを地域に点在させることによって、新たな観光スポットを作り出し、観光地を一新していくというインパクトのある観光戦略である。アートという主観的な観点でありながら、アーティストが地域の本質的価値を読み解き、自身の感性と混ぜ合わせ、地域を表現するアートを地域に新たに生み出していく。

 代表例として、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」よりイリヤ&エミリア・カバコフ『棚田』が挙げられる。十日町松代の棚田に、伝統的な稲作の農作業をする人々の四季の姿をかたどったカラフルな彫刻が配置されており、対岸の農舞台展望台からその棚田を眺めると、伝統的な稲作の情景を詠んだ空中文字が棚田の彫刻と重なりあい、雑誌の1ページのような光景が目の前に広がる作品である。この作品の素晴らしい点は、ただ農家のおじいちゃんが棚田で作業をしているだけでは分からなかった越後妻有の農作業の情景が、アートという形を成すことで感覚的に視認できるようになったこと、空中文字によって農作業の四季の移ろいを分かりやすい情報として理解できるようになったことである。

 また著名なアーティストが元々有しているブランドアートと地域の風景を並存させることで、新しいランドマークを生み出すという手法もある。代表例として、「瀬戸内国際芸術祭」より草間彌生『黄かぼちゃ』が挙げられる。瀬戸内の海景を背に、直島の波打ち際の桟橋に設置されたドット柄の『黄かぼちゃ』。異彩を放ちながら、瀬戸内に溶け込むその姿は、芸術祭を代表する象徴的風景となっている。その他、クリスチャン・ボルタンスキー『心臓音のアーカイブ』も興味深い作品である。豊島唐櫃港の東に続く路を抜けると、瀬戸内海を臨む小さな浜辺に、存在感を放つ黒色の小屋がある。その小屋の中、ハートルームという無数の鏡が壁に貼り付けられた薄暗い部屋の奥で、大きな電球が心臓の拍動音源に合わせて明滅するというインスタレーションである。ここで再生される拍動音源は、人々の生きた証として世界中の人々の心臓音を録音するというプロジェクトにより収集されたものである。高名なアーティストのブランドアートが、瀬戸内海の小さな島の片隅に存在しながら、世界の人々へ繋がっているという跳躍空間を生み出しており、離島の辺境性を活かした作品であることが大きな特徴である。

 このように感性の時代においては、現代アートという強力な表現ツールによって、地域を視覚化し、新たな観光スポットを作り出す手法も大いに検討の余地がある。

5 地域を表現する ―デジタル―  

 デジタルとは、リアルを機能的・装飾的に補完する表現技法である。

 デジタルとリアルの補完関係については、昨今様々な取り組みがなされており、枚挙に暇がないが、「地域を表現する」という観点に特化して、デジタルの活用可能性を説明したい。

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」では、音声ガイドとして「ON THE TRIP」が採用されている。これは美術館用音声ガイド機を、屋外アート用音声ガイドアプリケーションに転換したものであるが、観光産業における様々な有益性が感じられた。具体的には、①説明版やパンフレット印刷等の物理的費用が不要であること、②無限に配布できること、③説明版と観賞物を交互に見る必要がなく、視覚と聴覚を同時並行に活用しながら、スムーズに観賞できること、④高品質なガイドのクオリティを常に維持できること、⑤自由な時間に、見たいものだけ、ガイド付きで一人でも鑑賞できること、⑥音声のみではなく、映像や画像などを組み合わせながら細やかな情報を表示可能であることなど、デジタル化による複数の優れた点が挙げられる。

 また、デジタルによる空間表現として、MRやSRといった現実世界にデジタルの世界を重ね合わせる最先端技術の開発も進んでいる。これは特殊なゴーグルをつけると、現実世界の中で歴史的史実などが目の前で巻き起こっているかのようにリアルに視認できるようになるデジタルデバイスであり、観光産業のパラダイムシフトも予感されている。

 誰もがスマートフォンを持つ時代となってきており、あらゆるものがデジタルで繋がるIoTと呼ばれる高度情報社会となっている。観光産業においても、デジタル技術の革新的な時流を確実に捉えながら、柔軟に活用しなければならない。 

6 地域を表現する ―ガストロノミー―

 食は、観光立国の四大要素の一つとして取り上げられるとともに、平成二十九年の文化芸術振興基本法一部改正においても、生活文化の例示に「食文化」という文言が明文化されたこともあり、地域の世界観を形成する重要な観点として改めて注目されている。

 食によって地域を表現するという観点で最も注目すべきは、欧米から普及しつつあるガストロノミーという概念である。日本語で言えば、美食学と訳されるが、世界中の地域それぞれにおいて奇跡的に成立した風土によって育まれた食材やその食文化を学びながら、味わうという感性にふれる知的体験である。最も重要な概念である風土は、年間を通して、春、夏、秋、冬と季節によって流転する。更に、日本の旧暦においては、二十四節気、七十二候と、五日間程度で細やかに切り替わる七十二の季節が定められており、その時々の旬の食材が細やかに示されている。和食がユネスコ無形文化遺産に登録された大きな理由は、季節の緻密で美しい表現にあったと言われている。自然の美しさを生活に取り込む繊細な感性が、日本文化の底流に流れている。

 観光産業全体において、その真髄を再認識することによって、地域の食文化を活かした日本らしいガストロノミーは美しくデザインされていくように感じる。 

7 最後に

 新型コロナウイルス感染症の影響による急激な社会情勢の変動で、観光産業は窮地に立たされている。感性の時代とともに、更なる厳しい過渡期が訪れている。

 このような中で、星野リゾート代表の星野佳路は、地元の方が近場で過ごす旅のスタイル「マイクロツーリズム」という観光概念を提唱したことにも注目が集まっている。本論で述べた地域価値を調査、分析、整理し、表現化していくこと、感性にふれる美しい世界観を持った新しい時代の観光地を創出することは、地域外の観光客だけではなく、地元の方が自分の地域のことを知る、地元の方が自分の地域を今一度観光する契機にも繋がる。地元の方がマイクロツーリズムを実施し、観光を楽しみ、満足して家に帰っていただくためには、どうすればよいのか。今の時代に合わせた観光産業のリデザインは急務である。 大事なことは、「感性にふれる世界観」を用意することである。

 どのような地域価値に出会えれば喜んでもらえるのか、感動するのか、心に残るのか、一人一人の人生の糧となるのか。一旦忙しい手を止めて、デザインやアートなどの感性にふれる知識や技法を学習し、事例を検索し、ゆっくりと考えを巡らせる。そして、地域や自分自身などのあらゆるものに、進化の未来を問いかけるのである。

「君はどのようになりたいのか。」

 際限のない禅問答のようである。新たな問いを生み出し、それを解決していく感性の時代においては、今一度、真っさらな気持ちで、地域の根源的な価値を一つ一つ手に取り、見つめなおしてみるべきなのかもしれない。

 

Text:REGIONAL ARKHE 代表 稲田 勝次郎